自宅の梅がキレイだ。一本だけど水戸よりいいや。朝のFM。モシュコフスキ、2Vln,Pf Suite op71,モシュコフスキはシャミナードの義兄だけど、両方とも知らない人が多いだろうなあ。この曲は、高校のとき梅田のササヤで見つけて以来、演奏したくて仕様がない曲だったけど、未だ実現していない。ヴィエニャフスキのVln Con No2.ヴィエニャフスキは8歳でパリ音楽院に入った天才。ヴィエニャフスキの作曲を通じて思うんだけど、過去のヴァイオリンの歴史の中で彼が一番の天才ではないだろうか。1872~73年の間、アントン・ルビンシュタインに同行し、アメリカで239日のうち215回コンサートをやっている。性格的に弱いところがあったのか、アル中と賭博中毒で死んだ。Vln Conの16分音符には無駄な装飾がほとんどなくすばらしいが減七の多用はよくない。CA-TV,シュトラウス「雷鳴と稲妻」ストラビンスキー「タンゴ」シベリウス「悲しいワルツ」。
編曲の資料を探しに渋谷のヤマハへ行った。「革命的音階練習」はひっそりとしていてあまり目立たなかった。本のコーナーを覗いているとこの間読んで非常に参考になった「オーケストラの社会史」の著者、大崎滋生氏の「音楽演奏の社会史」(東京書籍¥2524)と言う本がある。手に取ってみると氏は現在桐朋学園の教授だとか。斜め読みしていてもとても面白そうなので買い、カレーを食べながら読み出すと面白すぎて止まらない。私が今、ストリング誌で新連載を始めようとしている主張ととても良く似ていて、胸がすく思いだ。過去の音楽をその時代の社会文化史的に捉えず、すべて一直線の進歩主義で捉えるから音楽史は間違いだらけだというのだ。まず、バロック時代なんて存在せず、あれは後からドイツ人が考えついたものだとか、モーツァルトハイドンもバッハの影響なんか受けていないどころかハイドンはバッハを知らなかったという。「芸術となった過去の音楽」という言い方は、私がいつも言っている「芸術とは娯楽が形骸化したものだ」という言い方にも似ている。生きているころはバッハの千倍も万倍も有名だったテレマンがなぜ忘れられたか、それは音楽のいい悪いとは無関係で、ピアノが一般家庭に入ったとき、テレマンにはピアノで弾ける曲がなかったからだとか、イギリスに作曲家が少なかった理由とか、私も知らなかったことが多く、とても面白くて、お奨めである。文体はあまり好きじゃないけどね。
夜もCDで、Irelandのロンドン序曲、3回目.These Thungs shll Be,2回目を聴きながら本を読む。