放送大学

西洋音楽の諸問題」でとても面白い話を聞いた。それは江戸時代の西洋音楽との関わりについてである。我々の常識では鎖国の江戸時代には西洋音楽とは無関係だったと考えがちだけど、決してそんなことはなかったということだ。長崎の出島のオランダ公使邸ではよく音楽会が開かれ、日本人大名も招かれている。その様を描いた絵が残っており、楽器もよく描写されている。ところがその絵では、楽士の顔が黒い。というのは、その当時のオランダ領バタビヤから連れてきたインドネシア人やマレー人、もしくはインド人が演奏しているというのだ。だから、全く洋楽との触れ合いがなかったわけではなかった。また、オランダからの使者は定期的に来てはいなかったそうだ。例えばナポレオン戦争の影響で航海が不便になり、1809~1817年の間、オランダ船は来ていないそうだ。初耳だなあ。そしてもう一つの情報源が、船が難破漂流して、ロシアに助けられた人たちからの体験談である。1792年に帰還した大黒屋光太夫モーツァルトが死んだ二日後にペテルスブルグでエカテリーナ女王に謁見している。そこで見たオルガノ・コルディウムという楽器を懸命に説明している。何でも半自動オルガンの様な楽器で、そのころのペテルスブルグには数百台もあった人気楽器だったが今では壊れたのが1台あるかぎりとなっている。光太夫の情報は音楽史上貴重な資料だそうだ。
こういう話があまりにも面白いので、ネットで調べたらテクストが売っている。¥4200と高いけど思い切って買うことにした。