純正律再び

「壮快」の来月号でまた純正律を特集してくれる。余震の続く中、なんとなくの不安感解消には私のCDが効果あるようだ。
ACのCMに流れるピアノの平均律、三度が高すぎて、気色悪い。


私はMIDI出現以前にシンセ7台をMC-8で制御して、三管編成の東フィルと交響曲を初演しています。その後、MacDTMを始めて約25年。MACを始めたのはいろんな調律を駆使したかったからです。
コンピュータの打ち込みで平均律なんて愚の骨頂です。私は純正律ピタゴラス、ミーントーン、ヴェルクマイスター、キルンベルガー等を駆使して沢山作曲しています。ACのCMの場合、転調しないのですから長三度を14セント狭めることくらい簡単だし、それくらいのサービス精神が欲しい。
バッハの「平均律」というのは世紀の誤訳で、 バッハが平均律を使ってなかったのはようやく知れ渡ってきています。バッハ時代から19世紀の前半まで、あらゆる作曲家やチェンバロ奏者たちは自分流の調律を自慢しあって徹夜で飲んでいました。今の平均律で毒された聴覚より鋭い。


シンセがプログラム的に勝手に純正になるのは、全く使い物になりません。C-Durの2度、つまりDFAが無茶苦茶な不純正になるからです。この2度の不純生を克服する為に無数の調律法が生まれました。コンピュータ調整でもこの点が大問題ですが、作曲上ではドッペルドミナント系を避けるモード手法が有効です。もともと私は借用和音が好きじゃないので苦には成りませんが。モーツァルト平均律を拒否、憎んでいて、自分の曲を平均律でやる奴はぶっ殺してやると言っていますから、今生き返ったら大量殺人鬼になります。
モーツァルトには中全音律(ミーントーン)が有効です。


マーラーが、最近はミーントーンが聴かれなくなったと嘆いています。大体、20世紀に入る 直前くらいに平均律の世の中になったんですね。工場出荷ピアノに平均律を搭載したのは1842年でプロたちは平均律を嫌っていましたが悪貨は良貨を駆逐してしまいました。


平均律というのは、平均に音を狂わせているという意味です。純正律では使える和音と使えない和音の差が極端すぎる。それなら平均に狂わせている方が全部の和音が使えるという考えのもと後期ロマン派の遠隔転調が可能に成りました。平均律はあくまで調性の限界を目指して純正な響きを犠牲にしたのです。


だから12音の発想はおかしいのです。私は12音は嫌いですが、その理由の一つに、弦楽器と声楽のビブラートを野放しにしていること、リズムの制約がゆるいこと。いずれにしても平均律は12音だけに使って欲しい。私は調性復古というコンサバではありません。私はもっと過激な音楽原理主義者。


昔の人の方が感覚が鋭敏だったのは当然です。モーツァルト時代は53平均律という方法があり、彼は得意としていました。また子供の時、親友のヴァイオリン演奏に対して、彼の音程はいいけど、、自分と比べたら、彼とは半音の 六分の一ピッチが違うと指摘したそうです。
現代人の方が何でも進んでいるという考えは、歴史に対する最大の侮辱です。バッハ時代は調性の違う曲は調律を変えなければならなかったんですが、バッハは信じられないスピードでやってのけたという話が残っています。
今のピアニストは、実に耳が悪い。自分で調律もしない、いや、できない癖に、汚い平均律を正しいと思い込んで、私に対して「音程悪いわねぇ」 と言ってのける無神経さにはエビゾリますね。こっちはピタゴラス純正律を弾きわけて工夫しているのに話にならない。


本当の絶対音感と言うのは、ピアノであれ、合唱やブラバンであれ、どこのパートがどれだけ狂っているからハモらないということを即座に指摘出来るかどうかと言う能力でなければならないんですよ。平均律では美しいハモリは不可能なんです。
。私は桐朋の講師だった時にも絶対音感教育を痛烈に批判していました。また過去に6冊本を出していますがいつも「桐朋」と名指しで批判しています。私は神戸なので中学のとき桐朋関西版「相愛」に通っていました。
私はうちが貧しくピアノなんか無かったのですが、音の高さはすべて当てて関西一の天才絶対音感児と言われたけど、ピアノの低音の長10度の狂いに気づき、絶対音感のむなしさを知りました。だから普通の「絶対音感」よりもっときつい物を持っているので絶対音感教育の弊害を知っているのです。


箏は純正律ではなくピタゴラス。なのに最近は平均律のチューナーで合わせる輩が増え、私は邦楽も教えているので、馬鹿者!と怒っています。順八逆六という、やりやすくてすばらしい方法論を忘れている。ピタゴラスの半音は約90セントですから、平均律「六段」は気持ち悪い。
ヴァイオリンは、勿論純正律で弾くことはできますが、5度調弦ピタゴラス。私はピタゴラスチューナーで調弦した箏アンサンブル30人くらいと自分のソロヴァイオリンのための協奏曲を書いたけど、音程取るのが凄く楽で、ピアノの時のようなストレスはなかった。