今日、いろんな資料を整理しながら聴いたCD。ディーリアス「アパラチア」。先日聴いたアメリカンラプソディを拡大した曲。やたらとヤンキードゥードゥルが出てくる。5回目。これはまあまあだが、「高原の歌」(5回)はやはりつまらない。4回目の「丘を越えてはるかに」は、出だしが「新世界」にそっくり。でも美しい曲だ。次にウォルトンの「交響曲1番」〈12回)。この曲はすごい怒りの情念が全体に渦巻いている。とても血圧の高い曲だ。同じCDに「クラウン・インペリアル」(6回)。「オーブ&セプチャー」(5回目)といういかにも英国皇室ご用達の曲があるので、もろ体制派、コンサバの人と思われるかもしれないが、若いころのウォルトンは超貧乏で、超前衛の詩人達と「怒れる若者たち」という運動を起こしていた。たぶん戦争に対する怒りだろうと思うけど、とにかくすごい怒りが伝わってくる。次にスティルの「時には母のない子のように」(25回)。スティルは黒人で初めてクラシック系の作曲家になった人だ。この曲はもちろん黒人霊歌の編曲だが、やたらと美しい。次にまたディーリアス。18日に聴いた「春初めて郭公を聴いて」(28回目)。私はまだ鴬も聴いてないが。「川の上の夏の夜」(17回)「夜明け前の歌」(16回)。この2曲はたいしたことないが、「ふたつの水彩画」(23回)「ハッサンの間奏曲」(18回)「ハッサンのセレナーデ」(18回)「イルメルリン前奏曲」(15回)。この3曲はとても絵画的で風景が目に浮かぶような曲だ。「さりゆく燕」(12回)。タイトルはいいのに、たいした曲じゃない。「フェニモアとゲルダ間奏曲」(17回)。私はこの曲に非常に影響を受けて沼田曜一の民話のバック音楽を書いたことがある。
モーツァルトのフルートとハープの協奏曲を抜粋する作業。そして2ヴァイオリン用に弦楽四重奏「狩り」の編曲を始める。