ストリング誌の連載を書き始めるが、なかなか進まない。4月14日の菜の花コンサートに関連して、邦楽と純正律のことを書こうとしているが、ストリング誌の読者層に興味を持たれるかどうかを考えると、しばし筆が止まってしまう。
その合間に今日はこの前買った世界一変な作曲家カーゲルのCDを聴きなおす。何度聴いても変だ。コントラバスとピアノの曲があるが、コントラバスの人と思われる足音が延々とペタペタとし続け、後半になってやっとコントラバスの音がする。ああやっぱりコントラバスの曲だったんだ、と安心して聴いていると、最後に誰の声かわからないが絶叫が聴こえる。もう1曲、メトロノームとピアノのための曲があるが、これも延々とメトロノームのコチコチという音にあわせていると思ったら、途中でメトロノームが変調を来たす。メトロノームが鳴り止んでピアノだけになって、おやおやどうしたのかな、と思っていると、最後にたぶんピアニストの絶叫が聴こえる。カーゲルという人は誰もいない空間で指揮をし続ける映像つまり指揮者というものの存在をばかにしきった作品を作ったり、オーケストラを振っている指揮者が途中で倒れる、しかしオーケストラのプレーヤーはそのまま何事もなく演奏し続ける(フジテレビのトリビアの泉でみた)という、これも結局指揮者なんて何の役にも立っていないという強烈な告発とおちょくり。私は昔猛毒クラシック入門という本で、指揮者なんて何にもしてないし不要だと書いて頭の固い芸術家達から怒られたことがあるが、そういう意味では私はカーゲルと全く同じ考え方をしている。カーゲルのおちょくりをちゃんと理解するためには、CDでは絶対不可能だ。すべてDVDでみないとなぜ最後に絶叫するのかが理解できない。私が20代の終わり頃には弦楽四重奏全員をエレキ化してバルトークをやったり世界一速奏きのモーツァルト弦楽四重奏曲をやったり、ワウワウペダルで義太夫をやったり、暴れまわったが、今では響きの世界を目指している。カーゲルなんて私より20歳くらい年上なのに、死ぬまで暴れん坊なんだろうな。立派なものだ。