ストラディヴァリウス神話を斬る

アメリカだったかな、ストラディヴァリウスの最高作といわれるヴァイオリンが史上最高値の3億9千万円で落札されたという。またぞろ名器信仰が話題になるんだろうが、私はこの手の話は吐き気がするほど嫌いである。大体ストラドの時代と今ではヴァイオリンの奏法が全く違うし、楽器に対する負荷も全く違う。昔は天井の高いそれほど広くない所で、響きを大切にしていたから大きな音は必要なくピッチも今よりかなり低かったし、指板自体も非常に短くて、今のような高音部は演奏しなかったので、弦は裸のガット線、それもかなりフニャフニャだったし、弓の張りも強くなかったから、駒に対する圧力も全然大したことはなかった。それが年がたつごとに指板が長くなり、大ホールの隅から隅まで音が届くようにピッチが高くなり、弦も金属巻きになり、現代では4弦の駒に対する圧力は約2トンといわれている。この状況では昔のストラドはすぐに壊れる。その処置として、ヴァイオリンの胴体の中には力木というストラド時代には考え付きもしない補強が施されている。つまり昔のストラド時代と今では、完全に楽器自体が違うのだ。第一本当にストラドがいい音がするのか誰も証明したことはない。過去何回か目隠しで何台かのヴァイオリンの音のテストをやって、ストラドが一番いい楽器だということには殆どなってないそうで、大概は最近作のヴァイオリンの方に凱歌が上がっている。私は10年位前に出した「猛毒クラシック入門」という本の中でもばかげた名器信仰をブッた斬っているが、全く世の中に変化はない。なぜストラドが一番といわれ、値段も高いのか?それは他のヴァイオリンの値段をつける際のメートル原器の役割を担っているのだろうと思われる。信仰でもなんでもいいから一番いいとされているものの何割か、という見当のようなものだろう。私が考える名器とは、どんな演奏にも最高に対応できる非常にすぐれたインターフェイスである。名器自体、誰が奏いても音はするが、それ自体でいい音のはずがない。殆どのヴァイオリニストの悲しい勘違い。それは私の持っているのは名器だから、いい音がしているはずという錯覚で、ただ単に楽器をなぜさすっているだけじゃ、絶対にいい音がするはずがない。最高のインターフェイスに対しては、自分の全身全霊を傾けて始めて自分の理想が表現できるわけで、これは聴く人も心してほしい。いい音楽を聴くんじゃなく、いい楽器の音を聴きにいくなんて、変なもんだ。現に、TVで競り落とされたストラドを女性が奏いていた,クライスラーの「愛の悲しみ」。一体どこの学生が何してるんじゃ、と思っていると、これがそのストラドを演奏していた音だったのだ。私は名器なんて要らない。不完全なインターフェイスでも丈夫であればいいのだ。