疾風怒濤の1970年代

7月に(株)ブリッジから復刻販売予定の「タイムパラドックス(1975、日本コロムビア)」のライナーノートを書くために新ためて1970年代の事象を調べてみると、まさに疾風怒濤、社会的にも音楽的にも革命的るつぼが煮えくり返っていて、いつ何が起こるか分からんグチャグチャの時代のど真ん中に私もいたのだ。
3億円事件が1968年、全共闘の大学封鎖、バリケード闘争が過激となり、1969年の東大安田講堂事件の翌年1970年に「よど号ハイジャック」が起こり、1972年にはあのおぞましい「あさま山荘事件」が起こっている。
その間、1970年はシカゴの「長い夜」が大ヒット。電化して16ビートへ宗旨替えしたマイルス・デヴィスの「ビッチェズ・ブルー」がジャズ界に大衝撃を与えた。1971年にはプログレの英雄、ELPが「タルカス」「展覧会の絵」発表。
私が山本直純のもとの苦しい修業時代から独立しての初仕事が「怪奇大作戦(円谷プロ-TBS)」で1968年、手塚プロのアニメ「アニマル1」が1968年。1970年の「大江戸捜査網(日活-12Ch)」を始め、日活ニューアクションの「野良猫ロックシリーズ」その他、ギャラの安い末期的日活だからなんでもできるのをいいことに弦楽四重奏をエレキ化したりして好き放題やっていた。最近相次いでいる日活ニューアクションの私の音楽を聞き直すともろ「ビッチェズ・ブルー」「ウェザーリポート」バカラックを挟んで、ジュニア・ウォーカー中心のモータウンサウンドが聞こえる。こんなところがグルーヴ・玉木と言われる所かも知れない。
グルーヴサウンドからの脱却を考えていた私に1973年、ELP「恐怖の頭脳改革」ですっかり頭脳をグチャグチャにされたお礼参りの「タイムパラドックス」へとつながって行くのだ。