朝のFM、プフィッツナーパレストリーナ前奏曲集。2曲目が今回の新曲の参考になったかも知れないが遅すぎた。午後は神宮で東東京決勝戦日大豊山が勝つと多分、東西の東京が日大になってしまうのでここは是非とも国士舘に勝ってもらいたいが、2回で3点入れられどうかと心配したが、国士舘は投手と捕手を除いた全員7人が左打ちという変則打線が功を奏し結果は大勝した。終って渋谷へ出て、HMVヘ寄り、映画音楽コーナーを覗くと掲示板に書き込みのあった70年代日活物が2枚と関連物が1枚あり、飛びついて買うと約8000円。高いなあ。ここんとこ新曲のため事務所に缶詰め状態で2週間自宅に帰っていないので久しぶりに自宅に帰り早速日活のCDを聴く。いろんな作曲家や唄物があり、私の曲はそれほど多くないけどそれでもやっぱり懐かしいし、懸命にバカラックもどきをやっているのが汗顔の至りだが、帯でも中でも私のことを絶賛してくれていて、今の私では考えられないソウルジャズ風だったり、カントリーロックだったりするところが他の作曲家とは違う印象があるんだろう。あのころの私は実は日活映画の作風はそれほど好きではなかったけど絶対他社ではできないだろう音楽実験を随分やったもんだった。日本で初めて絃Qをエレキにしたりしてもみんな面白がってくれた。ギャラはメチャ安かったけどお金もらって実験できるんだからこちらは開き直りの権現様だったねえ。東映の大泉に呼ばれて音楽担当したとき、斬新なエレキ系の音を聞いた撮影所所長が怒りまくり、雑音と騒音しか書けないようなやつは出入り禁止だと宣告された。監督が出てきて日活映画のファンから、ぜひ玉木さんを起用するように言われたんですがと、謝ってはくれたが、私は平気だったねえ。その後、日活が初めて時代劇をやるので、一番時代劇には向いていない作曲家として私が起用されたが結果的には成功したね。でCD聞き終わって郵便物の整理をしていると制作プロダクションからなんとこのCDの見本盤が届いていた。アーア。